【特集】開発秘話/各家庭に1台の貝焼き味噌板

あおもリークス文化・生活

フェイクニュース/青森県津軽地方の伝統郷土料理として知られる貝焼き味噌は、いまなお家庭の食卓に馴染み深くなっている。
その嚆矢となったのは現在青森市の家庭の台所に一家に1.1台(青森BLOG協議会調べ)と広く普及している「貝焼き味噌板」の存在が欠かせない。
今日はこの貝焼き味噌板のルーツを紹介したい。

ルーツ

貝焼き味噌は元々、ホタテ漁師たちの間での隠れたメニューとして、取れたてのホタテ貝を貝殻のまま焼いていたものが普及したと考えられている。
しかし一食に一枚の貝殻を使用する製法は、即興性が高いものの熱効率に優れないというデメリットがあり、家庭への普及へのネックとなっていた。
そこで戦前開発されたのは、たこ焼き鉄板の凹面が広く浅いタイプの鉄製「貝焼き味噌鉄板」であった。
鉄板を使用した場合はホタテの殻使用に比べ、熱効率と大量生産に優れる反面、「ホタテの殻の出汁(だし)がない」と漁業関係者や料亭など専門家の間では不評であった。
さらに第二次世界大戦中の鉄製品供出により、鉄製の貝焼き味噌板は消滅しかかっていた。ところが戦時中の制約という特殊な環境が、現在の貝焼き味噌板を生むこととなる。

ピンチがチャンスに

戦時中の金属製品供出により、アイロンや貨幣までも陶器にとって変わったこの時期、鉄製の貝焼き味噌板も例外ではなかった。
ところが代用品として開発された陶器の貝焼き味噌板は土鍋同様蓄熱に優れ、また帆立の貝殻を加えた同品は、貝殻の出汁というこれまでの貝焼き味噌板の根本的問題を解決した。
さらに偶然の産物として、貝殻を加えた陶器は耐熱性・耐久性に優れるというメリットも加わった。
こうして戦時中の制約下で生まれた「帆立セラミック貝焼き味噌板」は爆発的に普及し、現在の青森貝焼き味噌王国の基礎を生んだ。
当時の関係者は語る。「そのときは時節柄、暗中模索で貝焼き味噌の将来も見えなかったが、こうして青森の人たちが今おいしい貝焼き味噌を食べていることに幸せを感じる」

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